「経験値」について思うこと

初めての記事だが、僕という人間の自己紹介も兼ねてふと思ったことを書いてみる。

 

僕は現在理系の大学院に通っているのだが、進学にあたって自分の周囲の環境が大きく変化したなと感じたときが2回ある。幼稚園 → 小学校のような時もきっと周囲の環境は大きく変わっていたのだろうが、いかんせん記憶にないし、ここでは周囲の環境の変化という中でも特に「周囲の人間の変化」について重きを置いてみたい。

1回目は高校に進学した時である。僕は地方の田舎の出身のため、中学は家から近い地元の公立に通っていた。そのため、中学時代は良い意味でも悪い意味でも色々な人間がいた。そしてきっと、良い意味でも悪い意味でも僕のことを思い出しながら僕と同じことを言う同級生がいたとしてもおかしくない。それくらい、様々な価値観を持つ人間が混合していた環境だったと思う。年齢を重ねた最近は、きっとこれからの人生ではあれだけ多様な人間がいる空間で過ごすことはもうないのかなとも思う。そう思うとなんだか寂しい。いや、社会知らない癖に何言ってんだって話だけど。

高校で初めて受験を経験した。少し言い方がおかしいが、高校に入学して周りの人間の質が大きく変わった。単純に年齢に伴って精神が成長したということもあるのだろうが、中学時代には少なかったタイプの人間が飛躍的に増えた。多くは勉強も運動も頑張ってるクラスの人気者、みたいなタイプ。彼らはどうしようもない人間だった僕にはとても眩しかった。また、当時は今ほどは世間的に受け入れられてはいなかったいわゆる深夜アニメやゲームが好きな「オタク」的な人間も多かった。周りに理解のある人間が増えた。いってしまえば、高校からはだいぶ治安が良くなったのだ。

前置きが長くなったが、ここで 2回目の「大学に入学してから」に触れてみたいと思う。僕は大学に入学するにあたって初めて上京することになったのだが、そのせいもあってか地元にはいなかった(全くいないということはなかったが)タイプの人間にたくさん出会うことになった。

彼らはこれまでに積んできた「経験値」の量も質も全然違うのである。この例によってさらに分かりにくくなってしまう人もいるだろうが、ポ○モンの努力値の振り方みたいなものと考えてもらいたい。めちゃくちゃゲームが上手い人間、めちゃくちゃ本を読んできた人間、めちゃくちゃゲームをこなしてきた人間(1つを極めてる1つ目のタイプとは少々違って、ここでは本数的な意味で)、めちゃくちゃ音楽を聴いてきた人間、めちゃくちゃアニメを見てきた人間、など。このような感じで一般的な評価指標になりやすい「勉学」以外の分野でも秀でている人間が非常に多かった。これは絶対にかなわないなと思える人間だ。

これは僕の狭い視野で見た限定的な知見になるが、これらの人間はいわゆる首都圏の有名中学を受験していた場合が多い、と思う。彼らがどのような6年間を過ごしてきたのかは僕には検討もつかないが、僕が「高校、ないし大学で」感じた周囲の環境の変化よりもさらに大きな変化を彼らはきっと中学の時に経験したのだろう。

僕が人生をやり直せるなら、彼らが過ごした環境と同じ環境に籍を置いて、青春時代に彼らと同じ時間を過ごしてみたい。僕は今に至るまで本当にどうしようもないくだらない人間なのだが、もしかしたらいい(のか知らない)影響を受けて今とは違う自分になれていたのではないかな。

まあそんなことを言っても仕方ないので、大抵の人間は自分の子供に自分の送ることのできなかった人生を歩ませようとするのだろうね。全くモテない僕には関係のない話だが。